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【探訪記】松尾鉱山 その3/3

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松尾鉱山 松尾鉱業旧職員宿舎

鉱山から排出される水は硫黄を含んでいるため赤かったそうです。ここから流れる川は、川下で北上川と合流するそうですが、別の川と合流することでやっと赤さがなくなるくらいだったそうです。北上川は遠く宮城まで続く川ですが(河口は牡鹿半島の付け根・追波湾)、盛岡あたりまでは赤かったそうです。

「住みよい鉱山にいたしましょう」と書いてあります。

鉱山街の暮らしはとてもすばらしかったようです。電気も水もタダで、暖房もセントラルヒーティング。映画館もあって、当時は盛岡でもかからないような最新作がこちらでは見られたし、美空ひばりも来たころがあるとのこと。そういえば、当時松尾は「天上の楽園」と呼ばれていたみたいです。

ここでは、生活物資から娯楽まですべて会社が用意してくれたそうです。給料も良く、従業員とその家族が用意すればいいのは、食べ物と衣類だけだったそうです。おじさんや地元の人は、よくバスに乗ったり歩いたりして、ふもちから買い物に来たり遊びに来たりしたそうです。

しかし、いくら「天上の楽園」とはいえ、やはりガスがすごかったようです。一週間もいれば体に臭いが染み付いて、下山するとすぐに鉱山の人だとわかるくらいだったそうです。バスなどに乗っても、鉱山の人がいればすぐにわかったくらいとのこと。

この写真を撮った足元付近に、朝鮮や中国から来た人たちのお墓があるようです。しかし、周りには何も残っていませんでした。

職員宿舎や木造の長屋(現存しない)などは、鉱山の風下にあったので、お偉い方々は臭いを嫌って、少し離れた場所に住んでいたそうです(鉱山集落周辺には、一戸建て住宅の基礎部分がたくさん残っています。観光ルートから完全に離れるので、あまり見られることはないでしょうが、どれも立派な住宅だったことを想像させる大きさです)

なお、集落の中央にある沼は、今でこそきれいな水に見えるが、当時は鉱山からの排水も生活排水もすべて流し込んでいたそうです。今見ると、野鳥が住んでいそうなすてきな沼なんですが…。

おじさんと別れたころ、夕日が沈み僕の探索も終わりにしました。

かつて1万5千人もの人たちでにぎわったこの鉱山には、今誰もいません。ここは高山地帯です。その厳しい自然環境にさらされ、少しずつ朽ち果て、人々の記憶から消えていく姿を見ると、とても切ない思いにかられます。

しかし、単にそんな旅愁の楽しんでいられない現実もあります。この鉱山からは、硫黄に汚染された排水が今も湧き出ています。その処理を国や地方自治体は延々と続けていかなければなりません。その後始末がすべて終わるメドは今のところ全く立っていません。丸田氏の「棄景II」によると、排水の中和作業は年間2万トンのペースで進められているそうですが、坑内にはまだ320万トン以上の鉱毒水が残っているそうです。また、中和作業で生じるヘドロも処理先が決まっておらず、20年で満杯になる沈殿湖に溜め込んでいるそうです。

かつての繁栄と、それがもたらした負の遺産。鉱山は、私たちの営みすべてを映し出す鏡のような存在に思えるのです。

【参考文献】
「棄景」(丸田祥三・著/宝島社・1993年→洋泉社・1997年)
「棄景II」(丸田祥三・著/洋泉社・1995年)
「廃墟遊戯」(小林伸一郎・著/メディアファクトリー・1998年)
「廃墟をゆく」(小林伸一郎・著/二見書房・2003年)

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