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「廃墟ブーム」とは何だったのか

ネットで繋がる廃墟ファン 書籍・雑誌への露出も急増

「廃墟巡り」という趣味は、ブームの到来によって、今ではそんなに変な趣味とは思われなくなった。しかし、そうはいってもアングラ的なイメージが強いため、間違っても履歴書には書けない趣味である。

現在、廃墟の情報が最も多く流通しているのはインターネットである。個人でホームページを持つことが容易になった98年ごろから、普段はあまり表に出てくることがなかった「廃墟ファン」が廃墟に関する情報サイトを開設しはじめる。やがて、ファン同士の横の繋がりを生まれ、廃墟情報に関する流通が一部盛んになってきた。

とはいえ、インターネットで情報を収集するのはあくまで廃墟ファンである。インターネットの力だけで、一般の人々を巻き込んだ、いわゆる「ブーム」を作り出すことにはならないだろう。やはり写真集や書籍、雑誌の特集などを通じて、一連の「廃墟ブーム」が作り出されてきたことはほぼ間違いない。

なお、現在では書籍や雑誌だけでなく、DVDやパソコンのデスクトップ壁紙集なども発売されている。さすがに「廃墟ツアー」といった商品を企画する旅行会社はまだ現れてないが、そうした展開が起こるのも時間の問題かもしれない。

廃墟ブームの起源 それは一冊の写真集から始まった

廃墟ファンには、単に写真集やガイドブックを買って鑑賞するライトなファンも数多くいると思うが、一歩踏み込んで、自ら廃墟に足を運ぶ人も少なからずいる。というよりも、私の知っている廃墟ファンはほぼ間違いなく、週末を廃墟で過ごすような人ばかりである。人によっては、趣味が高じて廃墟の本を執筆したり写真集を出している猛者もいるくらいだ。

まずは、このブームの起源を探ってみたい。といっても、ブームがいつ起きたのか、あるいは誰が最初に始めたことなのか、といった厳密な歴史的経緯について、ここでははっきりできないことを予め断っておく。白状すれば、そこまでの知識を筆者が持ち得ないのだ。しかし、現在進行中の廃墟ブームが、どのあたりから始まっているかは筆者でもだいたいわかるのだ。

廃墟ブームの発端、それはある写真集がきっかけになっている、と筆者は推測する。その写真集とは、丸田祥三氏の『棄景——廃墟への旅』(宝島社・93年)である。

丸田祥三『棄景—廃墟への旅』(宝島社・1993→洋泉社・1997)(Amazon)

 筆者は写真集の刊行を毎日新聞の書評欄で知った。1993年10月のことである。誌面に掲載された写真には、廃車処分になった新幹線「0系」の朽ち果てた姿があった。この写真はとても衝撃的だった。

丸っこくてちょっと時代遅れなスタイルの0系は、当時から少しずつ廃車処分が始まっていた。しかし、70年代生まれの地方出身者である筆者にとって、新幹線といえば、他ならぬ0系のことである。大阪や東京といった大都会へとひた走る0系新幹線は、幼き日の筆者にとってあこがれの存在だった。そんな0系の哀れな姿は、時代に取り残されていくモノの悲しさに満ちていたのだ。

そして、この写真はもう一つ筆者に強烈な感情を与えた。それは、丸田氏の優れた着眼点に対する嫉妬心だ。思えば、本を出すような人に初めて嫉妬心と敗北感を覚えたのはこれが初めてだった。高校生の頃、自分も将来カメラを持って廃墟を取材して回りたいと思っていたので、丸田氏の写真集が刊行されたことには大きな「ダメージ」を受けた。

そんなわけで、筆者はこの写真集に強い嫉妬を覚えてしまい、刊行から5年経った97年まで購入しなかった。

この写真集は、今は完全に廃れてしまったジャンルである「ドキュメンタリー写真」の流れをくむものだったと思う。現在市販されている廃墟の写真集は、どちらかといえばアート寄りで、廃墟の美を伝えるのがその主な目的になっている。しかし、『棄景』は高度成長を駆け抜けて、やがて「成長の限界」に直面し、そして忘れられてしまったもの——廃棄された風景を、現代日本に告発するジャーナリスティックな作品だったと思うのだ。

筆者は今でも頻繁に『棄景』を見返すが、そこに写し出された廃墟の姿に「怨念」や「諦観」「孤独」といった強い情念を感じ取れる。

なお、『棄景』には続編として『棄景II』(洋泉社・95年)という写真集が刊行されており、だいたい97年くらいまでは一般書店(といっても、都市部の大型書店のみ)で入手が可能だった。現在は、『棄景』『棄景II』どちらも版元で品切れ(つまりは絶版扱い)となっており、入手は極めて困難だ。

新たなる写真集の登場 廃墟はアートへ

ところで、丸田氏の『棄景』は現在の廃墟ブームがくる以前の作品である。彼はその後も廃墟関連の写真集を計4冊ほど出したが(現在では6冊となっている)、それに続く別の人が出てこなかった。従って、この頃(97年)はまだかなり静かなブームであり、廃墟本といえば丸田氏の写真集を指すくらい他の作品がなかった時期だ。

そんな中、全く新しい廃墟写真集が刊行される。小林伸一郎氏の『廃墟遊戯』(メディアファクトリー・98年)である。

小林伸一郎『廃墟遊戯』(メディアファクトリー・1998)(Amazon)

この写真集の登場が、ある意味で現在の廃墟ブームの直接的な火付け役となっているといっていいだろう。その理由は、丸田氏の『棄景』との対比を通して明らかになる。

丸田氏の写真集は、先ほども述べたとおり、ジャーナリスティックであり、廃墟の歴史的な裏付けに重点が置かれていた。というのも、廃墟の中でもとりわけ鉄道廃墟、廃坑、廃車、戦跡といった被写体が多く、歴史との結びつきが強固に見られるからだ。また、掲載された写真の大半が10年から20年前の古い写真で全てモノクロだったため、「廃墟は写真として鑑賞されるもの」あるいは「すでに死んだもの」といったイメージが色濃く漂っていたのだ。

一方、小林氏の『廃墟遊戯』は、大判や中判などの大型カメラを使ったカラー写真で、とても高精細で妙になまめかしい写真が多い。そして「廃墟=死」といったイメージを出すよりも、「今を生きる廃墟」といったイメージを出すことにより重点を置いているように思われる。また、撮影時期もあまり古いものはなく、現在でもその現場に行けば生の廃墟を見ることができるという物件が多い。それに加えて、扱っている廃墟物件が多様になった点も、廃墟ブームのイノベーションになっている。廃工場やラブホテル、ボーリング場、一般の民家、新興宗教の施設といった、これまであまり「廃墟」的な趣味の世界では扱われていなかった物件を数多く掲載した点でユニークだった。

小林氏は『廃墟遊戯』以降も精力的に活動を続けている。01年には『廃墟漂流』(マガジンハウス)、03年には『廃墟をゆく』(二見書房)といった具合に、次々と廃墟写真を発表している。また、「廃墟」業界初のDVDにもプロデューサーとして携わっている(『廃墟巡礼——北海道』大映・01年)。

小林伸一郎がプロデュースした DVD『廃墟巡礼—北海道』(大映・2001)(Amazon)

想像以上に広い層が支えている 現在の廃墟ブーム

以上が廃墟ブームのいわば「前史」である。現在では、書店の棚を一本埋めるくらいの廃墟本が刊行されている。こうした現状について、もはや説明は必要ないだろう。書店にいって棚を見れば明らかだ。

ただ、現在の廃墟ブームは、廃墟全般を一緒くたにしたものであって、実際にはあらゆる要素が含まれた、かなりの広がりも持つものであることを忘れてはならない。つまり、このブームを支える人々は、単に「廃墟ファン」と呼ばれる人だけではないのである。「廃墟ファン」という自覚がない人でも、追っかけているものが廃墟である場合が少なくないということだ。

そこで、ここでは(意識的、無意識的に関わらず)廃墟を追いかけている人たちをいくつかの種類に分けて、それぞれ簡単に説明しておこう。

廃線ファン

先の話では、廃墟ブームの起源を丸田氏と小林氏の写真集に見てきたわけだが、実のところ、いわゆる「廃線ブーム」という大きな流れがあったことも、廃墟に対する世間の注目を集める一つの要因になった、と筆者は推測している。

廃線ブームの契機となったのは、日本交通公社(JTB)が95年に刊行した『鉄道廃線跡を歩く』である。この本はベストセラーとなり、以後パート2(96年)、パート3(97年)と続編を重ね、今ではパート9(02年)まで刊行されている。監修にあたったのが鉄道ライターの大御所、故宮脇俊三氏だ。実際の執筆は、各地で活動する鉄道マニアが行っているようだ。A5判並製の至って普通の書籍だが、非常に文字の詰まった大作で、資料的価値の高いシリーズといえる。

宮脇俊三監修『鉄道廃線跡を歩く』(JTB・1995)(Amazon)

ある鉄道ライターの話によると、廃線というジャンルは鉄道ファンの間であまり重要視されないジャンルだったらしい。そのため、これまでは鉄道関連書籍の中でも、ちょっとしたページの埋め草程度の扱いにしかならなかったようだ。そもそも廃線ネタは一種のタブー扱いされていたフシもある。それをメインにすえて、一冊丸々廃線にしたことで、『鉄道廃線跡を歩く』は異例の大ヒットとなった。つまり、鉄道ファンのみならず、マニア以外の普通の人々にも受けたということだ。

なお、廃線を扱った書籍は、JTB一社がメインで他の出版社からはほとんど刊行されていない。もうすでに失われてしまった鉄道の情報を集めるのは、長年の情報収集と経験がものをいうプロの世界なのだろう。また、JTBのシリーズだけで国内の廃線情報はあらかた出尽くした状態である。

JTBではこの他にも、鉱山鉄道、路面電車、着工したもののその後の国鉄解体で結局鉄道の走らなかった「未成線」、かつて日本の領土であった樺太の鉄道情勢、などをテーマにした書籍も数多く刊行している。しかし、いずれも『廃線跡』に匹敵するヒットにはなっていない。

地理・地形図ファン

地図や地形図をこよなく愛する、いわゆる地図マニアは、各所の名所旧跡や失われた施設、道路、鉄道などに敏感に反応する。特に地形図は数年に一度修正や作り直しが行われるため、その新旧をつき合わせてじっくり見ていると、奇妙な地勢の変化に出くわすことがあり、なかなか興味が尽きないものだ。

例えば、延々と続く田圃の中を斜めに走る細長い荒れ地を発見することがある。こうした荒れ地は廃線である可能性が高い。そして、さまざまな資料を照らし合わせてみると、果たして、それがかつて運行していた私鉄の跡だったりするのだ。実際に現地に赴けば、その荒れ地には線路にまかれるバラスト(砂利)や信号跡を発見することになる。

あるいは、地形図上には山奥を縫って走る自動車の通れない細い道が数多く描かれている。こうした山道の先に何軒かの集落を示す記号が記載されているのを、地形図上で発見したとしよう。現代社会においては、離島部を除き、自動車の入れない場所に村落があるのは極めてまれだ。というよりも、実質的な人の住む村落はほぼゼロといっていい。従って、こうした集落は廃村になっている可能性が高いのだ。自動車社会が成立する前は、こうした山奥の集落にも多くの人々が住んでおり、学校や郵便局、電話などが設置されていた。そのため、今でもこうした廃村に行けば、分校の廃屋や郵便局の跡を見ることができるかもしれないのだ。また、ある廃村ファンの話のよると、電話などは今でもかけられるものも見つかるらしい。

このようなことから、地図マニアは、廃墟や廃村、廃線といったものに親しみを持つことが極めて多い人たちといえる。また、こうした地図マニア向けの書籍もいくつか刊行されている。例えば、今尾恵介氏の『地図の遊び方』(けやき出版・94年)、『地図ざんまい・しますか』(同・95年)などといった作品や、堀淳一氏の一連の著作(例えば『地図を歩く』河出書房新社・74年)などがその例である。

今尾恵介『地図の遊び方』 (けやき出版・1994→新潮OH文庫・2000)(Amazon)

なお、数年前まで地図をテーマにした興味深い雑誌が刊行されていたので、ぜひとも記憶に留めておきたい。『ラパン』という雑誌で、住宅地図大手のゼンリンが発行していた(当初は三栄書房が発行)。発刊当初は、銀座でイベントなども開き、誌面で紹介された貴重な古地図やクラフトエヴィング商会の作成したオブジェなどを展示した。しかし、後半は普通の旅行雑誌になってしまったのが何とも残念だった。

余談だが、廃村ファンはゼンリンの住宅地図を元に廃村の存在を確認するそうだ。ゼンリンの住宅地図はこうした自動車の入れないような場所にも調査員を派遣しているわけで、それはそれですごい事実である。さらに余談だが、筆者はゼンリンの入社試験で落とされたというちょっとほろ苦い経験がある。最終面接の際に「住宅地図の調査員がしたい」と嬉々としてしゃべったら、面接官だった社員の失笑を買ってしまった。実際にはものすごく辛い作業なのだろう。

産業考古学

考古学というと、一般的には有史以前の文字を持たなかった時代について、遺跡や出土品からその時代を生きた人間の生活や文化を考察するジャンル、というイメージがある。産業考古学も、そうした一連の作業に似て無くもないが、ちょっと違う。基本的には、近代が始まる前後から活発になる、それまでにはなかった近代的で生産性の高い産業分野(もちろん農業や漁業も含まれる)の遺跡や技術について、調査、記述、保存するのが目的の学問である。

従って、産業考古学で扱う遺跡(産業遺跡)は、相対的にあまり古くない。日本の例では、江戸後期に大砲を作るために製鉄を行っていた反射炉などが最も古い産業遺跡として扱われる。もっとも、メインに扱われるのは明治以降「富国強兵」「殖産興業」といったスローガンの元に始まった西洋技術の導入、大規模装置産業、大量生産施設、通信・研究・輸送施設などといった物件だ。

もちろん、産業考古学自体は廃墟を研究する学問ではない。だが、結果的に廃墟的なものに近づく学問である。特に、廃墟と化した産業遺産を掘り起こし、保存のためのロビー活動を行うことなどが重要な使命となっている。

ちなみに、筆者はこの学会の会員で、年4回刊行される学会誌を読むのを楽しみにしている。歴史好きな廃墟ファンなら、きっと参考になるはずだ。

産業考古学会発行『産業考古学』

探検系

昔から子どもが探検する場所といえば、真っ当な大人が近寄らない場所と決まっている。そして、そんな場所には必ずといっていいほど「死人が出た」「霊が出る」「危険な場所」といったレッテルが貼られているものだ。筆者も子どもの頃、廃墟や廃車置き場を幾度と無く探検した(臆病だったので心霊スポットだけはいかなかったが)。

廃墟は冒険心をかき立てられる場所であることは間違いない。それは、幼き日のドキドキ感を呼び覚ますのにうってつけだ。こうしたモチベーションから、廃墟を探検するファンも多い。もちろん、一人で行くのではなく、何人かで行くほうが盛り上がる。大人になった今なら口うるさい親も先生もいない、自由にどこまでもいつまでも探検を続けることができるのだ。

こうした非日常を楽しむために廃墟に赴くファンが、今の主流かも知れない。実際、筆者も女の子たちを引き連れて、とある廃校探検を楽しんだことがある。子どもの頃ではない、つい3年前のことだ。もちろん、無理矢理連れて行ったわけではないことを、取り急ぎ付け加えておこう。女の子を突然廃墟に連れて行くと多分嫌われるので、やめた方が無難である。

探検系廃墟ファンの場合、非常に難易度の高い廃墟を攻めるケースが多い。そのため、ネットや書籍で読む彼らのレポートはとてもスリリングだ。人によっては、「天井からぶら下がった人」を発見してしまったり、ちょっとヤバイ人たちの取引現場に出くわしたりと、恐ろしい体験をしている人もいるようだが、その冒険談を聞くだけなら楽しいものだ(体験はしたくないが)。

もちろん、事件や事故に巻き込まれるケースも少なくない。大人数で廃墟に入れば、どうしても周りに目立ってしまう。昨年も和歌山県のとある(廃墟ファンの間で)有名な廃ホテルで、そこに侵入した若者たちが警察の御用となった。首都圏に近い廃墟では、そこを根城にする過激派の人々もいるらしいので、廃墟探索には十分注意して欲しいところだ。

なお、廃墟探索の仕方について、詳しい書籍もあるので、出発前に必ず読んでおいたほうがよいだろう。それが、栗原亨氏の監修した『廃墟の歩き方——探索編』(イースト・プレス・02年)である。本書は昨年ヒットしたこともあり、現在の「廃墟」業界で最も重要な一冊といえる。また、ほぼ日本中の廃墟について紹介されていて「廃墟年齢」なども記載されているので、手に取りやすい「廃墟ガイド」として、ぜひとも押さえておきたいところだ。

栗原亨監修『廃墟の歩き方—探索編』(イースト・プレス・2002)(Amazon)

その他、地方系、特定分野のファン

以上、現在の廃墟ブームを支える人々をあらかた解説してきた。

この他にも「郷土史研究から廃墟を巡る」といった人々もいて、多くの成果を上げている。それらの成果は、大抵地方の小さな出版社から刊行されているので見逃せない。こうした本の刊行情報は東京にいてもなかなか入手しづらいので、地方に行った際には書店を必ずチェックする必要がある。一例を挙げると、秋田県の無明舎出版から出ている佐藤晃之輔氏の『秋田・消えた村の記録』(97年)などがある。

その他、廃坑、廃校、廃道、戦跡といった特定のジャンルにのみ言及する廃墟ファンもいるのだが、ここでは詳しく述べない。

その中で戦跡についてだけ軽くフォローしておくと、昨年は戦跡に関する写真集や書籍がいくつか刊行されている。例えば、安島太佳由氏の『日本戦跡』及び『日本戦跡を歩く』(いずれも窓社・02年)、あるいは牧野弘道氏の『戦跡を歩く』(集英社・02年)などがあげられる。

安島太佳由『日本戦跡を歩く』(窓社・2002)(Amazon)

近代社会の終焉 廃墟は未来の姿

今後もいくつかの廃墟本が刊行されるようだ、といったオフレコ情報がすでに筆者の耳にも入ってきている。廃墟ブームとて一時のブームゆえ、そのうち人々に消費されつくして飽きられる——そう思っていたのだが、今のところはそうでもないらしい。大規模書店では廃墟コーナーもできつつあるので、どちらかといえば、廃墟は一つの出版ジャンルとしてある程度確立し始めているのかもしれない。

廃墟を楽しむ人々が増える動きを、前向きととらえるのか、それとも後ろ向きととらえるかは人それぞれだ。やや意地悪な見方をすれば、過去の遺物を面白がる一種のデカダンスであるということもできるだろう。逆に好意的な見方をするならば、「近代社会」つまり「大量生産、大量消費、無限に続く成長、広がる領土」といった共同幻想が完全に消え去ってしまった現代——それを生きる我々が、一体これまで何をし、何を失っていくのか、その答えを知るために、廃墟へと向かうのかもしれない、と解釈することもできるだろう。

筆者にとっては、廃墟とは過去の歴史であり、かつ今後訪れる「未来の姿」でもある。今住んでいる家、街、国がやがて廃墟になる——そんな姿を思い浮かべながら、週末のけだるい午後を廃墟の中で過ごす。そこでは、時の流れによって少しずつ朽ち果てていく「滅びの美学」が、ゆっくりと展開しているのだ。
(終わり)

廃墟ブームは形を変えて、一部のややアングラ的なノリが薄まって、産業遺産ブームへと変わってきたのかもしれません。ともあれ、ただただ打ち捨てられるだけだった廃鉱山や「戦争」を連想させるために嫌悪の対象だった軍事遺跡が、新たに見直されて、保存や啓蒙活動が進められている現在は、ある意味で廃墟ブームの正統進化なのかもしれません。

僕はこの文章を書いた後、自分たちのサークルを立ち上げて初の同人誌「忘れられたニッポン」を刊行します。「廃墟写真はきっとコミケに参加するマニアな人々に受けるはず、だって俺もオタクだもん」という信念のもと、初の刊行に踏み切りました。

僕は「廃墟を巡る旅」を写真と文章で表現したいと思い、同人誌製作を続けています。廃墟には必ず廃墟になってしまった経緯、物語があり、その物語を紐解くために、現地を訪れ、廃墟やその周辺を歩き回って、現場の空気を感じることが何よりも楽しいです。ついでに、現地の地酒や魚があると一層すばらしい旅になりますね〜

ともあれ、20代最後の時期に書いた一文です。カタ苦しい駄文をご覧いただきありがとうございました。(2015年10月)

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