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北海道1(炭鉱・炭鉱町)その3

雄別炭礦(2回目) 釧路市(旧阿寒町) 2010年10月訪問

雄別購買

2006年10月の訪問はあいにくの雨で、ろくに探索もできなかったのですが、4年後に実現した2回目の訪問は快晴。じっくりと炭鉱町の痕跡を見て回ることができました。また前回とは違い、いわゆる「同業者」の方も来ていて、産業遺産への関心が高まっていることを実感しました。

写真はかつて存在した雄別鉄道の駅前にあったスーパーマーケットの「雄別購買」の跡です。ここがスーパーだったこと、また駅前通りだったことは、現在の姿からは想像できません。なお雄別購買の2回はスナックだったそうですが、もちろん面影は全くないです。

湧別炭鉱病院

こちらは炭鉱病院跡。 ところで、雄別の旧炭鉱町に入る少し手前に、缶コーヒーの空き缶を大量に展示しているちょっと変わった喫茶・飲食店があったのですが、まだやっているのでしょうか。

住友赤平炭砿立坑(2回目)・芦別炭鉱

赤平市 2012年10月訪問 赤平は6年ぶりの訪問です。立坑は相変わらず健在でしたが、見た目が少し変わりました。

2008年9月
2012年10月

「住友赤平立坑」の文字が撤去されています。落下の危険があったのでしょうか。とてもインパクトのある看板だったので残念です。


赤平と合わせて訪問したのが芦別炭鉱跡ですが、残念ながらめぼしい物件に出会えませんでした。でも昔の炭鉱町の雰囲気が残っていました。

かつては大変賑わっていた場所だと思います。こうした古い町並みを見るのも好きです。
芦別では、かつての中学校跡(頼城中学校、1998年に閉校)を現在利用している星槎国際高等学校を見学させていただきました。


木造の講堂です。北海道ではたまに見かけますね。この他にも教室や廊下などを見学させていただき、その懐かしい雰囲気を堪能させていただきました。

羽幌炭鉱(3回目) 苫前郡羽幌町 2013年08月訪問

まさか人生の中で3度も羽幌を訪問するなんて、思ってもみませんでした。羽幌は炭鉱だけでなく、町の雰囲気も好きなんです。僕にとっては北海道で最も好きな場所かもしれません。特に稚内から天塩を経由して、羽幌、留萌、増毛と下るコースがたまらなく好きです。

上の写真は羽幌炭鉱を紹介する立て看板です。かつてはこのようなものがありませんでした。産業遺産巡りが今ではごく普通の観光旅行になったんですね。

なお、今回は装備がいい加減で、ニコンの古いフィルム一眼「F2」に中国製フィルム「ラッキー200」、単焦点のレンズ数本という、大変身軽な状態で羽幌を訪れました。写真はすべてネガからスキャンしたものです。

便利な時代になったもので、わずか数千円で36枚分のフィルムスキャンを数日のうちにやってくれるのですから、今こそフィルムカメラを活かす時!なんですよね。フィルムのスキャンなんて、素人がやっても失敗だらけで、もう2度とやりたくない作業です。でも、フィルムで撮った廃墟写真、多いんだよなあ、困ったもんだ。

それはさておき、羽幌炭鉱の象徴的な建物といえば、築別鉱にあった駅前の炭鉱病院です。

2013年8月


無残な姿です。もはや病院だった面影はまったくありません。というか、建物の形すらわからない状態です。

2004年9月

9年間でここまで崩壊が進みます。やがて瓦礫の山になってしまって、何があったかもわからなくなるのでしょうね。残念ですが、これは仕方のないことです。次に訪れる時までに何とか残っていること期待します。


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