- 国鉄士幌線 河東郡上士幌町 2001年09月訪問
- 常呂町の不明客車(喫茶店跡)北見市(旧常呂町) 2003年10月訪問
- 国鉄士幌線・タウシュベツ川橋梁 河東郡上士幌町 2004年09月訪問
- 国鉄手宮線 小樽市 2005年05月訪問
- 国鉄松前線 松前郡松前町 2005年05月訪問
- 大沼の蒸気機関車(D51) 亀田郡七飯町 2005年05月訪問
- 平取町の蒸気機関車(D51)沙流郡平取町 2005年05月訪問
- 国鉄581系電車 沙流郡日高町 2005年05月訪問
- 国鉄士幌線・タウシュベツ川橋梁(2回目)河東郡上士幌町 2009年02月訪問
- 戸井線(未成線) 函館市汐首町 2010年09月訪問
- 流山温泉駅 200系新幹線車両(2013年6月解体・撤去)亀田郡七飯町 2010年09月訪問
国鉄士幌線 河東郡上士幌町 2001年09月訪問
2000年頃は、まだタウシュベツ川橋梁についてあまり知られていない時期です。僕自身も廃線関連の情報で上士幌線を知り、どうやらダムの底から現れたり沈んだりするコンクリート橋があるらしい、くらいの知識で訪問しました。
訪問時は、ダムの水が多かったらしく、タウシュベツ川橋梁の姿を確認することができませんでした。というか、今のように立て看板があったり、観光客がたくさん訪れる状態ではないかったので、そもそも、どこの橋があるのかもわからなかったのが実情です。
まだ廃墟訪問を始めたばかりの時期で、使っていたのは叔父からもらったニコマートFTn(ニコンのフィルム一眼)、レンズは50mmのみ。それでもコンクリートの残骸を見ると嬉しくて撮影していました。上の写真なども、ただただ嬉しくてシャッターを切った時の一枚です。
常呂町の不明客車(喫茶店跡)北見市(旧常呂町) 2003年10月訪問
サロマ湖畔を並走する道道442号線沿いで偶然見かけた国鉄時代の客車です。いわゆるブルートレインですね。内部には喫茶店をやっていたような跡が残っていました。北海道の穏やかな秋空とやや煤けたブルーの車体、そのコンビネーションがとても印象的で、僕にとって大切な思い出の一枚です。
残念ながら、現在は撤去されてしまったようです。2006年10月に再訪しましたが、見つけることができず、場所がわからなくなってしまったのかと思ったのですが、現在、Googleのストリートビューでも見当たらないため、撤去されたものと思われます。
国鉄士幌線・タウシュベツ川橋梁 河東郡上士幌町 2004年09月訪問
2001年に訪問した際は、タウシュベツ川橋梁の存在は知っていたものの、確たる自信がなく、今のように道案内もなかったため、「ここじゃなかったのかなあ」と思って、橋梁以外の遺構を探索したのですが、世の中で次第にタウシュベツ川橋梁のことが知られるようになって、こりゃもう一度行ってリベンジしないといかん!と思い、再び訪問しました。
僕が同じ物件に2度3度と訪問するのはこのパターンか、初回訪問時に天気が悪かったかのどちらかです。
ご覧の通り、この時の訪問ではバッチリ撮影することができました。3年前と違って道案内の看板もありましたし、地元の宿の方もよくご存知でした。この頃からですが、廃線や廃鉱山の残骸を、地元の貴重な産業遺産としてアピールしていこう、といった動きが高まり始めた気がします。
ちなみに、上の写真をご覧いただくと、なんだか曇ってますよね。そうです。僕はこの5年後、再びこのタウシュベツ川橋梁を訪れています。とにかく晴れてくれないと気が済まないんです。
国鉄手宮線 小樽市 2005年05月訪問
小樽市の街中に、普通に廃線があることの驚きました。北海道って土地が余っているんだなあ、と変な関心をしたものです。手宮線は北海道で最初の鉄道路線です。訪問当時は、見ての通り、ただの荒れ地といった感じでしたが、現在はだいぶ整備されているようです。
小樽と言えば、新潟〜小樽航路の到着地です。ボロのパジェロミニで上陸を果たした早朝の小樽が懐かしいですね。古い町並みや建物が多く残っているので、また訪問したい街です。
国鉄松前線 松前郡松前町 2005年05月訪問
人生初の大旅行だった9泊10日の北海道旅行にて、上国鉱山から函館に向かう道で出会った未成区間の松前線です。このあと、松前城に立ち寄って、わずかに開花した桜を見たり、松前線のトンネル跡を見たりして、遅くやってきた北国の春を満喫しました。
大沼の蒸気機関車(D51) 亀田郡七飯町 2005年05月訪問
この下にある、サハリンより戻ってきたD51は、事前に調べていたのですが、こちらは全くの偶然に出会った蒸気機関車です。函館から長万部方面に向かう国道沿いにあったボロボロのSL。現在はすでになくなっているものと思われます。というのも、このあと何度かここを通過しましたが、あれ以来一度も見かけたことがないからです。
所在地も覚えていません。背後に見えているのは駒ケ岳のようです。もう少しじっくり撮影すればよかったです。なお、上の写真はメモ用のコンデジで撮影したもので、当時のメインはフィルムでした。フィルムの撮影枚数には物理的、経済的な制限があったので、目的以外の撮影には慎重にならざるを得なかったのが悲しいところです。
平取町の蒸気機関車(D51)沙流郡平取町 2005年05月訪問
終戦直後の日本で生産されたのち、旧ソ連時代の樺太で活躍したD51が、日本に何台か里帰りを果たしています。その中の1台がこのD51-2です。真っ赤に赤錆びたその姿に心が奪われます。ぜひとも現物を見たいと思っていた廃車両でした。
キリル文字が書かれた銘板がついています。ロシア(旧ソ連)の線路は、日本の新幹線よりも幅が広いですが、日本の植民地時代に開発が進んだサハリン(旧樺太)は、日本の標準軌(狭軌)で線路が敷かれたために、大陸の機関車が使えず、日本の機関車が輸出したものと思われます。
ちなみに、サハリンでは現在も狭軌で鉄道が運行されています。
上の写真は、サハリン州ユジノサハリンスク駅の駅前広場に展示されているD51-22です。やはり日本から輸出されたもので、今では町のシンボルの1つとなっています。
国鉄581系電車 沙流郡日高町 2005年05月訪問
美しく朽ち果てる廃車両もあれば、醜い姿を晒す無残な廃車両もまたあります。平取町のSLを見たあと、心地よい気持ちで国道を飛ばしていたら、ふと目に入ってきたのが、上の特急列車の廃車両です。さらに近づいて写真を撮りましたが、あまり美しい姿とは言えず、なんともいえない気分でした。おそらくすでに撤去されたものと思われます。
国鉄士幌線・タウシュベツ川橋梁(2回目)河東郡上士幌町 2009年02月訪問
私事ですが、このページはやたらとフィルム写真が多くて、作業に手こずってます。
ここからようやくデジタル時代です。
快晴そして雪景色、最高のシチュエーションで撮影できました。2月末日に訪問したタウシュベツ川橋梁です。全面結氷した糠平湖の湖面を歩いてアプローチしました。この日はワカサギ釣りの方も何人かおられました。訪問した年の場合、3月1日からは湖面の上を歩くのが禁止となるため、ギリギリセーフでした(そんなことは全く知らなかった)。
さて、タウシュベツ川橋梁を訪問された方はご存知かと思いますが、この橋がかかっている場所は、国道からかなり離れています。国道沿いに車を止めて、だいたい30分ほど歩いて橋梁まで向かいました。結構遠い上に、誰一人いないので、何かあったらどうしよう、湖の氷が割れて落ちたら助からんな、などと考えながら黙々と歩きました。もちろん気温は氷点下です。
地味に危険な探索だったような気がします。冬の訪問にはご注意ください。しっかり装備を持って行かれることをお勧めします。
戸井線(未成線) 函館市汐首町 2010年09月訪問
この年の9月は、函館要塞と小笠原要塞、まったく造りも用途も全く違う二つの軍事遺跡を訪問するという、アグレッシブなことをやりました。函館はともかく小笠原は遠かったなあ。
それはさておき、函館要塞と一緒に巡るべき軍事遺跡である戸井線です。戦時中に軍事目的で急ピッチで工事が進められましたが、完成を見ぬまま終戦となった幻の路線です。
流山温泉駅 200系新幹線車両(2013年6月解体・撤去)亀田郡七飯町 2010年09月訪問
函館要塞、戸井線とめぐった後、徒然に大沼近辺をドライブしていたら偶然見つけた物件です。湖畔沿いの林を中を走る道路で快走中に、左側の林の中に異様な姿の列車が見えた気がしました。「え、新幹線だったかあれ」と思い、今一度、通り過ぎた道を戻ってみると、そこにあったのは巨大な新幹線の廃車両でした。
ちなみに、この廃車両のすぐ隣に本当の鉄道路線(函館本線)が敷かれています。新幹線の姿を探して藪を漕いでいたら、現役の線路がいきなり出てきて2度びっくりでした。
この廃車両はすでに撤去されています。来年には北海道に本当に新幹線が到達するわけで、時代の流れをいやがおうにも感じますね。
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