北海道余市郡仁木町
2005年5月訪問/撮影機材 FUJIFILM E-500
大江鉱山については、ネット上にもあまり多くの情報がありません。所在地である仁木町のホームページによれば、採掘が始まったのは明治23年とあります。採掘されていたのは、銅、亜鉛などで、戦中の休止を経た後はマンガンが中心だったようです
そういえば、道南で最大の遺構を残す上国鉱山もマンガンを採掘していました。こちらの経営は中外鉱業でしたが、この大江鉱山も戦後は中外鉱業が運営していたようです。その後、北進産業の手に渡り採掘が続けられましたが、資源の枯渇により昭和59年9月閉山しました。
近くのJR然別駅から道道755号線を入っていけば鉱山跡があります。かつては引き込み線もあったはずで、見つけるのにはさほど苦労しないだろうと思ったのですが、意外に手間取りました。5月と行ってもまだまだ雪が1メートルくらい積もっている状態。道路標識の案内をさぐりながら、何とかたどり着くことができました。
かつては正面にいくつかの事務所や施設があったはずですが、見渡す限り雪の平原。山あいにいくつかコンクリートの壁が見えます。
歩きにくい雪の上をラッセルして、コンクリートの壁面をじっくり見てみました。左にはレンガで積んだ基礎の跡が残っています。残念ながら、これらが何の施設跡なのかわかりません。
コンクリートの壁面に近づきました。時間はすでに午後3時過ぎでそろそろ太陽がかげり始めています。あたり一面無人の雪原なので、やや不安な気持ちになってきました。
左隣のレンガにも近づいてみました。あまり詳しくないのですが、これはフランス積みに該当するのかな? 雪が深くてあまり近づくことができません。
どうやらこのコンクリートは、ホッパーか何からしいです。ここに貨車をつけて採掘した鉱石をこの穴から落とす仕組みになっていたようです。穴には樹木が茂って、さながらラピュタの中にある廃墟みたいになっています。
そんなわけで、すでに多くの遺構が失われ、自然へと還りつつある大江鉱山であった。なお、坑口のあともあったのだが、そこから大きなパイプがつながれていて、どうやら湧き出る水の浄化処理をしているようだった。鉱山の宿命といえる問題である。
札幌から比較的近いところにありますが、冬場だとほとんど近づくことができないと思われます。また春か夏の時期に訪問してみたいです。(終わり)
2005年頃はまともに使えるデジタル一眼レフが次々と出はじめた頃です。この時期、まだ僕はデジ一眼を持っておらず、フィルム一眼をメイン、コンデジをサブ(メモ用)といった具合に使い分けていました。ここで使った写真は、そのコンデジで撮った写真です。
富士フィルム製の「E-500」という機種で、35mm換算で28mmから始まるズームを搭載、単3電池2本で動作する400万画素の大変使い勝手のいいカメラでした。今ではスマホがあるので、わざわざコンデジを持って歩くことはないですね。
デジカメの普及でサイト制作はとてつもなく簡単になったはずですが、この時期からサイト制作への意欲が失われ、同人誌中心の活動に移行していきました。モチベーションを維持するのは難しいです。
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