昭和街道シリーズ最新刊「昭和街道5〜旧市街は誘う」Amazonにて発売開始!
スポンサーリンク

北海道1(炭鉱・炭鉱町)その1

大夕張炭鉱 夕張市 2001年09月訪問


鉱山のある(あった)風景に惹かれたのは、1998年頃に訪問した尾去沢鉱山が最初です。その時は単なる東北旅行の一環として尾去沢の観光坑道を見学したのですが、その魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。なお、大夕張の訪問が、僕の初めての北海道遠征でした。以後、ほぼ毎年のように北海道に渡っています。

残念ながら、訪問時にはすでに炭鉱町から人はいなくなり、かつてのメインストリートにお店の廃墟が残るのみでした(上の写真)。あれから何度か訪問するうちに、その廃墟すらなくなり、現在はダムの底になっているようです。 ちなみに、この頃はまだデジタルカメラが普及していませんでした。またカメラも、叔父からもらったお下がりのニコマートFTnに50mmの標準レンズのみで撮影していました。

奔別炭鉱(旧住友奔別炭鑛立坑) 三笠市 2002年09月訪問

僕が初めて訪問した頃は、まだ炭鉱遺産があまり注目されてない時期だったようで、わざわざ三笠まで竪坑櫓を見に来る人が珍しかったのかもしれません。この時は、竪坑の同じ敷地にある工場の方にお願いして、敷地の中を自由に見学することができました。訪問記がありますのでご覧下さい。

浅野炭鉱(雨竜鉱) 雨竜郡沼田町 2004年09月訪問

沼田ダム(ホロピリ湖)周辺は、かつて浅野炭鉱、昭和炭鉱、北端手塩炭鉱といった、中小炭鉱が点在する地域でした。このうち、浅野炭鉱の施設や炭鉱町はほぼすべてがダムの底に沈んでおり、ホッパーや選炭施設などの一部が残るのみです。

なお、沼田ダム沿いの道道867号線は、浅野炭鉱の遺構を見た後、昭和炭鉱、達布ホッパーを巡り、その後、日本海に出て羽幌炭砿に向かうルートとして再度利用しています。

達布ホッパー(北炭天塩炭鉱) 留萌郡小平町 2004年09月訪問

旭川方面から羽幌にアプローチする際に通りすぎる達布。初めて訪れたのがこの時です。4年後に再びこの地を訪れます。

羽幌炭鉱 苫前郡羽幌町 2004年09月訪問

大変思い入れのある炭鉱町です。羽幌炭鉱は道内のどの空港からも遠く、アクセスの難しいところなので、2004年の訪問時「ここを訪れることはもう二度とないだろう」と感慨深いものがありました。しかし、その後、2008年、2013年と通算3回も訪問しています。

上の写真は築別地区の駅前にあった炭鉱病院です。訪問するたびに崩壊が進んでいます。2008年までは辛うじて病院の形をしていましたが、2013年には屋根がすべて落ちてしまい、ただの廃屋と化していました。

尺別炭鉱 釧路市(旧音別町) 2004年09月訪問

北海道北部の羽幌炭鉱から一気に北海道を縦断して、釧路近くの尺別炭鉱に向かい、日が沈むほんの少し前に到着した際に撮影しました。牧場の中にポツンと残る2棟の年代の違う炭住、これをぜひとも見たかったのです。なかなか見つからずイライラして、道路をうろうろしたことを覚えています。

萱沼炭鉱 古宇郡泊村 2005年05月訪問

2005年5月、この年のGWは月曜と金曜以外はすべて祝日、つまり月・金と有給休暇をとれば前後の土日を合わせて9日間という、夢のような長期休暇が取れるとあって、フェリーとマイカーを使った遠大な北海道遠征を実行しました。

新潟港からフェリーに乗り小樽港についてから、余市、積丹、泊、国富、江差、上ノ国、松前といった具合に、ちょっと地味で普通の北海道旅行ではなかなか行きづらいコースを選びました。そのツアーで最初に訪問した炭鉱が茅沼炭鉱です。昭和39年閉山とあって、あまり遺構は残っていなかったように思います。

わずかな滞在時間で見つけられたのは、この坑口の遺構だけでした。後はそれらしきコンクリート片やレンガの遺構が少しだけありましたが、まだ雪の残る時期でもあり、深入りするのは諦めた次第です。

上の写真は、おそらく炭鉱施設や住宅などがあったと思われる場所です。なお、当時はネットの情報もわずかだったので、炭鉱や鉱山の所在地を文献などで調べて、その情報だけを頼りに訪問していました。そのため、今頃になって「そんな遺構が残ってたのか!」とネットで知って驚くことが多いです。

夕張・清水沢発電所跡、炭鉱町 夕張市 2005年05月訪問

2005年5月の9日間長期北海道滞在旅行にて、最終日に逗留したのが夕張でした。上の写真は現在も残っている清水沢火力発電所跡です。北炭が建てた発電所で1991年まで稼働していたとのこと。その後ろに、坑内から産出したズリのズリ山(ボタ山)が写っています。なお現在、解体が進んでおり、少しずつ形を変えています。

夕張は炭鉱町の雰囲気がよく残っていたのが印象的でした。また映画による町おこしの一環で、市街地の各所に昔の名画の看板が立てられています。

市街地にはほとんど人影は見られませんが、時折お年寄りの方の歩く姿が見られました。

巨大な炭住街を形成している清水沢清陵町。当時はまだ子供の姿の多く見かけました。

北炭・真谷地炭鉱 夕張市 2005年05月訪問

夕張の北炭で最後まで採掘をしていたのが真谷地炭鉱とのこと。訪問当時はまだいくつか遺構が点在していました。2007〜08年頃にすべて解体されたとのことです。

ところで、当時はまだフィルムで撮影していました。上の写真のようなコントラストが極端に強い写真はおそらくコダックのリバーサルを使ったためと思われます。

浦幌炭鉱 十勝郡浦幌町 2006年10月訪問

北海道の炭鉱・鉱山巡りにすっかりはまり、2005年以降は毎年北海道を訪問しています。2006年は、釧路方面の炭鉱を巡回しました。浦幌、雄別、本岐などの各炭鉱です。

ちなみに、この時期からデジタル一眼レフカメラを導入しました。当時はニコンのD200です。高感度にするとノイズが大量に乗るため、ISO100という低感度で常に三脚を使って撮影しています。それでも、フィルムと違ってすぐに結果がわかるし、メモリカードさえあればいくらでも撮影できるので、撮影がとても楽になりました。

浦幌炭鉱は、現在完全に森の中に没していて、当時の様子を想像することすら難しい状態でした。ところどころ、上の写真のような説明書きがあるのですが、とても町があったとは思えないくらい森の深いところです。

北海道1(炭鉱・炭鉱町)その2に進む→

コメント

タイトルとURLをコピーしました