県境を見にいこう
1997年6月22日作成(2002年10月8日一部修正)
新潟県新潟市方面から国道113号、さらに345号を走る。国道は海岸線に沿っているが、必ずしも海が見えるわけではない。海と道路の間はちょっとした林になっているからである。しかし、その林が所々途切れているので、海の見えるところで車を止める。鉛色の日本海を見ていると、遠くに何やら櫓のようなものが海上に立っている。多分、油田だろう。日本で石油が取れるのはここだけのはず。
村上市あたりから今度は国道7号を走ってみる。こちらは交通量が多いので、前を走るダンプにあわせてゆったり走る。ただただ山あいをどんどん進むだけ。軽い峠を越えると前方にまた海が見えてきた。そして、山北町の集落を通りすぎると、写真の県境にさしかかる。すかさず越えて、山形県県境の街、温海(あつみ)町鼠ヶ関に入ってみる。この集落を少しうろうろしていると面白いものを発見した。
「左 山形県」「右 新潟県」「境標」
なんと、集落の中に県境があったのだ。東京、阪神などの大都市圏ではめずらしくないことかもしれないが、このような場所にあるのは珍しいと思う。なるほど、自動車のナンバープレートも違う。山形県側の家に置いてある車は「庄内ナンバー」、新潟県側は「新潟ナンバー」。う〜ん律義である。写真に写っている右側の家(新潟)と、隣りの家(山形)の間は5mほど、それでもナンバーは違う。しかし、他にはこれといって境であることを示すものはなかった。それで、海岸側に出てみることにした。
そして、これが海側から見た写真。僕が立っているのは、港のコンクリの堤防の上。ちょっと、わかりにくいので説明すると、左にある縦看板には「山形県温海町・県南の里・鼠ヶ関」と書いてある。真ん中の車が停まっている場所が県境、右の縦看板には「新潟県山北町・県北の里・伊呉野・Igureno」と書いてある。家と家のちょっとした小道の先に上の写真の境標があった。ちなみに止まっている車のナンバーは「庄内」そのため、やや山形よりである。
ここ鼠ヶ関は、その昔関所だったようだ。一般的に河川や山の尾根などを結ぶ形で県境あったりするが、ここは関所だったという歴史からこうなったのだろうか。この集落では、面積としては山形が9割方を占めているが、果たして、新潟県側の子どもは、どこの学校に通っているのか。
いくつか疑問が残ったが、また訪れてみたい面白いところであった。
【訪問データ】
1997年6月2日訪問 天候:曇り後雨
新潟市から鼠ヶ関まで国道で約2時間半
鶴岡市から鼠ヶ関まで国道で約1時間
鼠ヶ関は、どうやらヨットハーバーとして有名らしく、長崎ナンバーや四国のナンバーの車がいくらか停まっていた。
あと、この近くに、その名も「日本国」という山があるが、これはなんなんだろう?
1997年にプロバイダと契約して、初めて手打ちのHTMLでページを作成したときのコンテンツです。この後、鼠が関には3度ほど訪れています。当時、八王子の小さなアパートで昼間からカーテンを閉めて、何もせず、自分の人生がどうなるのか悩んだり、こうやって急に車を乗り出して遠出したりして若者の時間を浪費していました。
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