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【探訪記】松尾鉱山 その2/3

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松尾鉱山 松尾鉱業旧職員宿舎

この学校施設は、閉山後も「生活学園」という学校として生きていたみたいです。今ではそれも廃校となり、廃墟化しています。廃墟年齢が少ない分、生々しいです。さらに奥のスノーシェードが、アスピーデラインです。このスノーシェードのおかげで、道路からはあまり鉱山跡が見えません。

ふと立ち入った一部屋の光景です。雑誌を貼り付けたものだと思いますが、女優さんが多いですね。この部屋に限らず、だいたいどのお宅も押し入れのコンクリに紙を貼っています。防寒対策でしょうか?

新聞の号外です。巨人が負けただけで号外なんでしょうか?日付は、昭和37年6月22日と読めます(残念ながら、正しい日付はわかりません。覚えてないです)

私が松尾を訪れたのは2002年の8月です。あたりは1000メートル級の高原地帯で、激しい勢いで雲が流れていきます。写真を撮っていると、地元のおじさんに声をかけられました。ふもとの集落にお住まいの60代くらいの方で、その昔、鉱山にも働きにきたことがあるとのことでした。

戦後、おじさん自身も中学を卒業してからは、夏季のみ出稼ぎとしてその長屋に住んだそうです。このあたりは、いつでもガス(硫化水素?)が充満していて、人がふもとから上がってくると、せきをしたりむせたそうです。

周りの木はすべて枯れ葉が落ち、電柱みたいに見えたそうです。そして、笹も白くなっていたとのこと。今からでは想像もできない姿です。
3/3に続く

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