【探訪記】松尾鉱山 その1/3

松尾鉱山 松尾鉱業旧職員宿舎

岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)
2002年8月訪問/撮影機材 Nikon F100, AF 24-85mm F2.8-4D
Nikomat EL, Ai 24mm F2.8/TREBI100, RVP

鉱山集落 全景

鉱山集落 全景

八幡平周辺は、国立公園であり全国でも有数の温泉地帯でもあります。また、八幡平を秋田方面に抜ける高原道路「アスピーデライン」は、紅葉が美しいことで知られており、季節になると渋滞も発生するくらい混雑するようです。

八幡平周辺は、国立公園であり全国でも有数の温泉地帯でもあります。また、八幡平を秋田方面に抜ける高原道路「アスピーデライン」は、紅葉が美しいことで知られており、季節になると渋滞も発生するくらい混雑するようです。
上の写真はそのアスピーデラインから、松尾鉱山を下に臨んだ光景です。ここから見ると、とても廃墟には見えません。僕のバイクの近くに茨城から来た家族連れが車を止めて、一緒に景色を見ていたのですが、「あれ、全部廃墟ですよ」と教えると驚いてました。なお、手前のダムのようなものが、坑道から湧出する汚染された排水を貯めておく沈殿湖です。

旧職員宿舎の外観 その1

旧職員宿舎の外観 その1

道路を降りてきて、鉱山集落跡に入りました。こんな高原地帯に突如として廃墟のアパート群が現れるので、かなりインパクトあります。しかし、アスピーデラインからちょっとずれた位置にあるので、注意していないと気がつかないかもしれません。

旧職員宿舎の外観 その2

旧職員宿舎の外観 その2

旧職員宿舎の外観 その3

旧職員宿舎の外観 その3

松尾鉱山は、かつて東洋一とまでいわれていた硫黄鉱山です。1914年(大正3年)に創業を開始し、1969年(昭和44年)に閉山されました。最盛期の人口は1万5千人。

旧職員宿舎の外観 その4

旧職員宿舎の外観 その4

硫黄は農薬や殺虫剤の原料にもなりますが、火薬の原料にもなり、戦前・戦中はもっとも重要な軍需物資の一つとして扱われていました。戦後は、硫酸や二酸化炭素などを作る際の原料として現在も化学工業の世界で需要の高い物資です。

宿舎の内部 その1

宿舎の内部 その1

天井の柱に「は」と書いてありますが、これは「いろは」順になっています。

宿舎の内部 その2

宿舎の内部 その2

今では硫黄を産出している鉱山は日本国内で皆無となっています(1973年にはすべての硫黄鉱山が閉山)。原因は、石油を精製する際に発生する回収硫黄の登場にあります。

宿舎の内部 その3

宿舎の内部 その3

1960年代に大気汚染が深刻化し、原油に含まれる硫黄化合物が問題視されるようになります。そこで公害防止策として、1962年に「煤煙の排出の規制に関する法律」が公布され(後の「大気汚染防止法」)、原油精製の際に硫黄化合物を除去(脱硫)することが義務付けられました。

宿舎の内部 その3

宿舎の内部 その3

脱硫の義務付けによって生まれたのが、安価な「回収硫黄」です。これの登場により、全国の硫黄鉱山は閉山に追い込まれました。松尾の場合、会社自体も消滅したため、当時の最先端だった新築の職員住宅がそのまま残され30年以上が経過しています。

宿舎の内部 その4

宿舎の内部 その4

お風呂の跡みたいです。ここに至る途中には購買所の跡のようなものもありました

宿舎の内部 その5

宿舎の内部 その5

窓の外にある赤い屋根は、中学校の体育館跡です。

宿舎屋上からの風景

宿舎屋上からの風景

右端に写っている白いのが沼です。この職員住宅群の手前には沼があり、その対岸にさきほどの沈殿湖があります。さらに沈殿湖の奥に鉱山の事業所がありました。今は汚水の処理施設になっています。

宿舎屋上からの見える旧独身寮

宿舎屋上からの見える旧独身寮

山の向こうに見える白いタンクが汚水処理施設です。この施設は現在も稼動中です。

2/3に続く

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